ロボットやAIはなぜ生きものらしくなっていくのか?―東大卒ロボットオタクと語る、ロボット/AIと生きものとの距離

前編の記事では今年1月に発売されたaiboを軸にペットロボットについて話を進めてきました。後編であるこちらの記事では、生きものとロボットやAIを比較しながら、その2つの特性の違いやAI脅威論について議論を深めます。

Yさん:東京大学大学院のロボット系の研究室出身。現在も国内メーカーでロボット製品の開発に携わる。

藤坂:Lab-On編集部所属。Yさんと同期のド文系。機械モノは好きだけどまったく得意ではない。犬に目がない。

何がヒューマノイドを「人間らしく」見せるのか?

Yさん:ヒューマノイドは説明したとおり、ざっくり言うと「人に似せて作ったロボット」のこと。見る、聞く、話す、歩く、といった人間の基本的な動作のどれかひとつに特化させたヒューマノイドは既に出回っているけれど、ヒューマノイドがすべてのスペックにおいて人間に追いつくのはまだまだ無理だろうね。ヒューマノイドの性能を総合的に人間に近づけるのは、ものすごく難易度が高いんだ。

:それはどうして?

Yさん:人間の体はとにかくよく出来ている。これほどの自由度で腕や手首が曲がる、動きを学習してすぐにある程度の精度で再現できる、しかも再生機能がある。これって本当にスゴイことなんだ。ヒューマノイドを作っていると、そういう人間の小さな仕組みにいちいち感動するようになるよ(笑)

たとえば、二足歩行は人間が進化の末に獲得した特徴的な移動方法だけど、人工的に再現しようとすると制御とかが結構難しいんだ。そのうえ、車輪に比べるとエネルギー効率もちょっと悪い。なので、ほとんどの移動機能のあるロボットはエネルギー効率の良い車輪を採用している。けれど、車輪を採用すると一目で「あ、ロボットじゃん」という感じがして、どうしても人間っぽさはなくなってしまう。

:確かに産業的に活用されている二足歩行のロボットってあまり見たことないかもね。最近だとボストン・ダイナミクスのアトラスがすごく滑らかな二足歩行を再現して話題になっていたけれど。あとは少し古いのだと、初代AIBOと同時期に話題になっていたASIMOも二足歩行だった。

 

Yさん:アトラスは現時点で世界最先端のヒューマノイドロボットの一つといえるね。でも、あれは一台作るのに数千万から数億円かかるんだ。スポーツカーを作っているようなものだね。たとえばPepperくんみたいに生活への普及を狙ったヒューマノイドにしたいなら、どう考えても割に合わない。だから、今の技術で普及も考えた等身大ヒューマノイドをつくるとなると、車輪を採用せざるをえない。でも、そうすると二足歩行に比べて、「人間っぽさ」がガクッと落ちてしまう。

:「人間っぽさ」と言われてパッと思いつくのは、たとえば表情とか、身振りとか、肌の質感とか、そういう部分が与える印象は大きいなって感じる。でも、人間の見た目の質感を再現したヒューマノイドに車輪がついていたら確かにそれは「人間っぽい」とは思えないね。

Yさん:人間の体に本来ないはずの車輪があると、ヒューマノイドの「人間っぽさ」が減るのは当然といえば当然だね。では人間の体に近づけば近づくほど「人間っぽく」なるのかといわれるとそうでもないんだ。

 

「人間に近い」ほど気持ち悪くなるジレンマ

 

Yさん:「不気味の谷」っていう言葉を聞いたことはあるかな。これはね、縦軸に人がロボットに対して感じる親近感、横軸にロボットの「リアルな人間っぽさ」を置いたグラフで、こういう形になるんだ。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%B0%97%E5%91%B3%E3%81%AE%E8%B0%B7%E7%8F%BE%E8%B1%A1

:ある一定のところを超えると親近感がグッと下がる、ということは、一定のラインを超えると「人っぽい」よりも「気持ち悪い」と感じられるっていうことかな。

Yさん:その通り。模倣性と親近感はある程度まで比例して上がるんだけど、あるポイントを超えると「リアルすぎて気持ち悪い」と感じられる。ただ、そのレベルよりも更に人間らしさが増すと、また親近感を感じるようになるらしいんだ。それはあくまで仮説だけどね。この谷にいるのがマツコロイドのような、人酷似型ヒューマノイドだね。大抵のものはクオリティや作り込みの精度を上げると、評価も比例して上がっていく。けれどヒューマノイドの「人間らしさ」は、あるラインを超えると作り込むほどネガティブに受け取られてしまうとされているんだ。この認識の差、つまり、「人間がヒューマノイドを見たときに感じる『「人間っぽさ』」はどこから生まれるんだろう?」というのは、非常に興味深い話題だと思う。

:それ、すごく面白いね。たとえば「ルンバは丸くてちょこちょこ進むのがカワイイ」って受け取られることもあるだろうし、生活に馴染むロボットは必ずしも見た目が人に近いロボットというわけではないんだろうね。

 

「最近のAI脅威論は、人間の能力をナメすぎている」

 

:最近はロボットの話とセットでAIの話も出てくるように感じる。「AIは人間を超えるのか?」とか、シンギュラリティの話題とか、人間との対比で語られることが多いよね。

Yさん:最近の「AIは人間の知能を超えるぞ!」っていうAI脅威論、はっきり言って「人間の能力をナメすぎでは」と思う。

:それはどうして?

Yさん:さっきのロボットの話と少し重なるけど、ハードウェアとしてもソフトウェアとしても、人間ってものすごく優秀なんだ。今回はAIの話だから、人間とAIのソフトウェア面を比較してみるね。

まず、あるスペックを得るためのリソースの量。流行りのディープラーニングをAIにやらせるには、ものすごくハイスペックなPCと莫大な電力が必要になる。その点、熱効率を考えると人間はエネルギーのコストパフォーマンスが圧倒的に勝っている。極端な話、パン1つ食べればひとまず何時間かは知的な生産活動ができる。

:必要なエネルギー量まで計算に入れると確かに人間のコスパの良さは飛び抜けてるね、言われるまでわからなかったけど(笑)

Yさん:でしょう?(笑)次に、器用さと能力の汎用性の高さ。あるひとつのタスクに特化させてAIを動かしたら、人間は敵わないことがたくさんある。たとえば最近では、監視カメラに人の顔を識別させたら人間が識別をするよりも誤答率が低い、という研究結果が出たんだ。つまり、警備員を置くよりも監視カメラに監視をさせたほうが効率が良く不審者を発見できるってこと。でも、それはあくまで監視カメラが「人の顔を識別する」という能力に特化したからで、その識別能力を他のモノにすぐ応用できるか、と言ったらそんなことはない。人間は人の顔を見分けるのと同じように、様々なモノの種類の違いをを見分けることがすぐにできるけれど、たとえばこの機械にコップとコップ以外のものを見分けさせようと思ったら、何万枚ものコップの画像を学習させるところから始めなくてはならない。人間がそのコスパを活かして日々いろいろなものを見て触って「学習」し、その概念を抽象化できているレベルを考えたら、その部分だけでも、AIはあと数十年は人間に追いつけないだろうね。

:なるほどね。そう考えると、囲碁や将棋のように計算ですべての手がシュミレートできるゲームで人間がAIに敵わない理屈はわかるかも。計算では駆け引きを教えるのはかなり難易度が高いだろうね。

Yさん:そう。人間は大抵のことがそれなりにできる、しかも、自己復旧力も高い。こうやって総合的に考えると、AIがすぐに人間の脅威になると僕は考えないかな。

:最近、チャットAIのアリスとボブが試験動作中に人間には理解できない独自言語を作って話し始めて……っていうスプートニクっていうWebメディアの記事が話題になったのを思い出したよ。記事では「チャットAIの思考回路を人間が理解できないこと」に焦点を当てて「脅威」としているんだけど、この意見についてはどう思う?

Yさん:特に機械学習系のAIでは、なぜその結果が出力されたのか、プロセスが複雑すぎて人間には直接理解できない、という現象はよく起こることみたいだよ。この事例も、機械学習システムが独自の中間言語を介しているので、人間には直接解読できないという意味では

「理解を超えている」と言えなくはない。でも注意すべきは、AIが意志を持って人間の理解を超えようとしているわけではないので、この見出しはミスリードだな、と思った。

:人とAIを較べる尺度がまったく違うことを考えると、AIそのものを人間の歴史的な「支配する/される」のようなストーリーで語ろうとすること自体、ナンセンスなのかもしれないね。

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