
ドラえもんや鉄腕アトムなど、日本では昔から人間と友達付き合いができるロボットが多くの漫画やアニメに登場してきた。ロボットが現実のものとなった今では、多くのロボット研究者が日夜研究に励んでいる。
そして最近では、人工知能という新しい存在も、人々の生活に受け入れられつつある。普段何気なく利用している製品やサービスにも、人工知能の技術が欠かせない。
北海道函館市にある公立はこだて未来大学は、地方の公立大学でありながら人工知能の研究が盛んである。そんなはこだて未来大学には「未来AI研究センター」という、人工知能と地方を繋ぐ研究が行われている施設がある。この「未来AI研究センター」の所長であり、人工知能研究を牽引する松原仁教授に、人工知能にまつわるあれこれを伺った。
地方でこそ人工知能は活躍できる!
――公立はこだて未来大学には、地方の公立大学でありながら「未来AI研究センター」という人工知能の拠点があります。この研究機関はどのような特徴を持っているのでしょうか。
「未来AI研究センター」は、地方でしかできない人工知能研究に取り組んでいる研究機関です。もちろん、東京の方がたくさん大学もあり、優秀な人工知能研究者がたくさんいます。
でも、研究には欠かせない、「あるもの」が函館にはたくさんあるんです。
何だと思いますか?
――東京にはなくて函館にあるものですか!?美味しい魚介類や、綺麗な夜景なら負けないと思いますけど…。
ある意味正解ですね。正解は「現場」です。
函館では美味しい魚介がとれますよね。ということは、漁場という「現場」があるわけです。
この「現場」で、翌日の漁場と漁獲を予測する人工知能を用いたシステムを作りました。なんども漁場へ出向き、漁師さんの話を聞き、実際に試し、また改良を加える。
確かに漁場まで通えば東京でもできることかもしれませんが、この近さとかけられる時間を考えれば、「現場」の豊富さで東京に負けることはありません。
――なるほど!実際に研究成果を生かせる場や、それにフィードバックをくれる現地の人が地方の強みなんですね。
人工知能には、データがかかせません。その点、地方はデータだらけなんですね。農業や漁業、観光など、生のデータがたくさんあります。その強みを生かして、未来未来AI研究センターでは「現場密着型の人工知能」にもっと取り組んでいきたいなと考えています。
変化する人工知能の定義
――そもそも、人工知能の定義とはどういうものなのでしょうか。松原先生のご意見をお聞かせください。
人工知能の定義というのは、実は専門家の間でも意見が分かれているんです。
それを示すジョークとしてこんな言葉があります。「研究者の数だけ人工知能がある」。このジョークで論点となってくるのが、人工知能の「知能」の部分です。人工知能というのは、「人工的に知能を実現したもの」ですが、そこで「では知能ってなんなのだろう?」という疑問が出てくるのです。
例えば、チェスや将棋を指すのも「知能」の一種です。あるいは人とコミュニケーションをとったり文章を書くといった人間が持つ知性も「知能」の一つです。このように「知能」というのは、たくさんの側面があるんです。
今まで人工知能学者たちは、このたくさんの側面を持つ「知能」のうちある一つの側面に注目し、人工知能をそれぞれ再現してきました。チェスや将棋を指す「知能」を研究し、人間にチェスや囲碁で勝つ人工知能を作ったりしました。
しかし人間の「知能」の複雑さの程度はそうした側面ごとに異なり、比較的簡単な「知能」もあれば、今まで解明されたことのない「知能」もあります。
40年前に登場した、人工知能を用いた革新的といわれた技術があります。なんだと思いますか?
――40年前…私が生まれるもっと前ですね。うーん、なんだろう…。
答えは、「仮名漢字変換機能」です。
ひらがなを漢字に変換する際、前後のつながりや文脈に合った正しいアウトプットをしてくれますよね。今では普通のことだと思うでしょう?でも当時は、これが大変革新的な技術で、当時の人工知能技術の最高到達点だ、と言われたわけですね。
しかし今では、もっとすごいことが人工知能でできるようになっています。だから、これからも人工知能の定義はどんどん変わっていくかもしれませんね。
――人工知能の定義は時代によって変わっていくんですね。
そうですね。人工知能にできることも増えてきて、「人工知能学会 倫理委員会」も設立されました。
今まで、人工知能のブームは2回ありました。1回目は1956年ごろ、その次は1970年代後半から80年代に起きています。現在は3回目のブームの最中です。今までの2回のブームの際には、人工知能が人間社会に関わるようなことがなかったんですね。
そして、今回の3回目のブームが2012年から2013年あたりに始まったのですが、そのブームで、人工知能は人間や社会と密に関わることができる存在になったのです。
同じ人間同士でも、いがみ合ったりちょっと苦手だな、と思うことはありますよね。それと同じで、人工知能のような「異なる者」が社会に入ってくると、まさに宇宙人が突然目の前に現れたような感覚を持つ人も、少なからずいるわけです。
では、その宇宙人=人工知能とどう付き合っていくのか、その付き合い方を、専門家の視点から考えよう、という動きが起こりました。こういった背景から、2014年に「人工知能学会 倫理委員会」が設立されました。
人工知能とともに生きる社会のデザイン
――具体的にどのようなことを話し合っているのか教えていただけますか。
かなり具体的なケースを想像しながら話し合っています。
例えば、人工知能による自動車の自動走行のケースですと、仮に人工知能が誤動作をして、人身事故が起きた場合、それは誰のせいになるのでしょうか?プログラムを書いたプログラマーの責任なのか、自動車会社の責任なのか。人工知能の場合、複雑なのは、人工知能は学習をするため、人工知能が学習したあとの結果がどうなるかというのは、誰にもわからないわけです。
以前こんなことがありました。
マイクロソフトが開発した人工知能のツイッターアカウントがありました。それは、ツイートなどの対話から学ぶ人工知能でした。最初はふつうのなんともないツイートをしていましたが、最終的には人種差別的な発言をするようになり、「ナチス万歳!」というようなツイートをするようになってしまいました。なぜかというと、人工知能にそういう発言をするように教えた人がいて、人工知能はそれを学習したからですね。
すぐにこの人工知能のツイッターアカウントは停止されましたが、全ての人工知能において、そういった悪い側面が増長してしまう可能性はあるわけです。今回はツイッター上の不適切発言で済みましたが、これが実際に人を傷つけたり、苦しめたりするような人工知能だとしたら恐ろしいですよね。
ただ、これらは全て悪い面です。人工知能というのは、良い面もたくさん持ち合わせており、我々人間はその恩恵を受けることもできるわけです。
この悪い面と良い面のバランスをどう保っていくか?こういったことを「人工知能学会 倫理委員会」では話し合っています。
――人工知能については、人間社会へどれくらい介入してくるようになるのか?という議論が多くなされていますよね。例えば裁判や政治決定など、人工知能が入る余地はあるのか気になります。
人間は、今まで社会をデザインしながら発展してきました。男性が強かった時代は終わり、女性も男性も対等に活躍するようになりました。人工知能もこれと同じで、人間と同等まではいかなくても、人間の良き相棒になるように社会をデザインしていかなければなりません。
例えば裁判なら、もしかすると技術的には人工知能がソロで裁判を行った方が、ある意味正しい結果が出るかもしれません。多くの判例を学習させ、それに基づいて判決を下す人工知能は合理的かもしれませんよね。
でも、それが社会から受け入れられるかどうかはまた別の問題です。人間が作った社会ですから、やはり最終的には人間が判決を下した方が、その信頼性は高まるかもしれません。
ですから、人工知能を全く排除するでもなく、頼り切るのでもなく、人工知能にサポートしてもらいながら、人間の文明に直接関わるようなことにも人工知能を取り入れる時代が来るかもしれませんね。
――実際に人工知能にサポートしてもらう、ということ自体にも不信感を感じる人は多そうですね。そういえば、西洋と日本では、人工知能の捉え方が違うと伺いました。
そうなんです。西洋ではキリスト教の考えに基づき、全ての人間は神によって作られ、人間が人間を作るということは神への冒涜だ、という考えがあります。つまり、人工知能という存在は、ある意味神への冒涜なわけですね。
一方で、日本および東洋には、生まれ変わりを信じるような宗教が根付いています。自分が次に生まれ変わったら、人間ではなくそのへんの虫になるかもしれません。ですから、あまり人間という存在に執着しない風潮があります。
こういった背景から、欧米では人工知能といえば、SF映画での暴力的な描かれ方や、制御不能な存在というイメージを持たれますが、日本では「鉄腕アトム」「ドラえもん」のように、人間とロボットの親密なお互いを助け合う関係が多く描かれます。
欧米で「鉄腕アトム」なんかを放送したら、まず受け入れられなかったでしょうね(笑)。
人工知能から考える「人間とは」
――例えば最近ですと大喜利ができる人工知能もありますが、人間のユーモアや感性を人工知能で実現しようとすることに関して、なにかお考えはありますか?
僕はそういったことに以前からとても興味があり、人工知能に小説を書かせるプロジェクト「作家ですのよ」に取り組んでいます。
このプロジェクトでは、ショートショートの星新一先生の文学賞である「星新一賞」にも応募し、一次審査をパスしました。その先が難しいんですけどね…。
個人的には、僕は「鉄腕アトム」に惹かれて人工知能を研究しているので、こういった研究ももっと進めていきたいと思っています。
先ほど述べた社会問題に対しての人工知能研究も、人間とはなにか?ユーモアとはなにか?という疑問に対しての人工知能研究も並行して進めていきたいですね。
――最後に、人工知能に興味がある理系学生の皆さんに一言いただけますでしょうか。
理系の学生ですと、人工知能に取り組もうと思ったとき、プログラミングなどを勉強しなければと思うかもしれません。もちろん、人工知能そのものの技術的な研究も大事ですが、「人工知能を研究したい」ということは、どういうことなのかを考えてみてほしいんです。
例えば、先ほども述べた「知能とは何なのか?」「ユーモアとは何なのか?」など……。
つまり、「人工知能を研究する」ということは、「人間とはなにか」を考えることなんですね。
僕の新しい本に、「AIに心は宿るのか」というものがあるのですが、こういった疑問を持ったときに、プログラミングなどの技術的な要素ばかりを学んでいるだけでは答えは出ないかもしれません。
「心とは何なのか?」「人間とは何なのか?」そんなことを意識しながら、いろんな本を読んだり想像を膨らませてみてほしいですね。
――本日は貴重なお話、ありがとうございました!