科学者たちは人工合成された馬痘ウイルスのリスクを憂慮し始めている

かねてよりデュアルユース(軍民両用技術)の可能性が指摘されてきた合成生物学。今年1月発行のPLOS ONEに、デイヴィッド・エヴァンス氏らによる天然痘ウイルスと近縁にある馬痘ウイルス(HPXV)の人工合成の論文が公開され、合成生物学の具体的なデュアルユースのケースとして話題となっています。

これに対し、PLOS ONEの姉妹誌であるPLOS Pathogensは、緊急の問題として、

・DNA合成技術が進歩したことによって、悪意を持つ人であっても有害なウイルスが入手可能になったこと

さらに、より大きな問題として、

・現在のインセンティブは、早期の科学者同士の相互評価(ピアレビュー)を妨げ、科学的進歩を遅らせ、かつますます強力でアクセスしやすい技術に関する危険な情報の普及を促進すること

を取り上げて注意喚起しています。

HPXVは2006年にゲノムが解読されたものの、その生理活性に関してはこれまでほとんど知られていませんでした。エヴァンス氏らは、今回の研究によってHPXVの人工合成に成功し、合成したウイルスがワクチンとして機能することを示せるかどうかを探求する足がかりとなった、と述べています。

図1 馬痘ウイルス(HPXV)

(CDCのPublic Health Image Libraryより引用)

https://phil.cdc.gov/Details.aspx?pid=1849

合成生物学とは、文字通り「合成によって生物を再現しようとする学問」のことを指します。単に生命の理解やモデル化の範疇にとどまらず、新産業育成の観点から、欧米各国を中心に科学技術イノベーション政策の中に取り入れられ始めています。

一方、エッジの効いた萌芽的な科学技術であるがゆえに、扱い方によっては大変な危険をはらむという社会的な懸念も浮上しています。この技術をより適切に扱うために、例えばイギリスでは、2010年にバイオテクノロジー・生物科学研究会議(BBSRC)および工学・物理科学研究会議(EPSRC)からの委託で、合成生物学の社会実装に向けたパブリックダイアローグ(※)がおこなわれています。日本においても、2007年に「細胞を創る」研究会の発足によって合成生物学に関する利点と懸念も含めたオープンな研究交流の場が生まれています。

用語解説
(※)パブリックダイアローグ
公共的対話とも呼ばれる。イギリスでは、政府のプログラムとしてサイエンスワイズと呼ばれるパブリックダイアローグを組み込むことによって、科学技術政策に対する市民の意見を集め、政策決定プロセスに反映させている。パブリックダイアローグのポイントは、幅広い市民の見解を虚心坦懐に対話によって収集するところにある。初めから落としどころが決まっていたり、説得的であったり、特定の技術を正当化するものではない。

近代免疫学の祖とも言われるエドワード・ジェンナーらが開発した天然痘ワクチンはウマ由来であり、ゲノムの塩基配列によって得られた情報から、現在様々な病のワクチンの種痘として広く利用されているワクシニアウイルス(VACV)と共通の祖先を有しています。エヴァンスらは、VACVがもともと有している毒性に関する懸念から、VACVの優れた代替の選択肢としてHPXVベースのワクチンを提供し得るどうか、その足がかりとしてHPXVが人工合成によって得られるかどうかを確認しました。

現在のVACV株の大部分は、ジェンナーが天然痘ワクチンを確立してから約200年の間の継代培養の歴史の産物ではあるものの、健康な個体においても心筋炎を引き起こすリスクがあり、免疫のない集団においては有害です。エヴァンスらは、遺伝子配列からHPXVを人工的に合成することによって、より安全な生ワクチン開発への応用の道筋をつけようと考えているものと見られます。

しかし今回発表された論文に関して、論文内の記述をヒントに類似のプロセスをたどることによって、WHOが1980年に根絶を宣言した天然痘ウイルスを蘇らせる危険性があるということから論争が勃発。実際、PLOS ONEに論文が掲載される前に、2つのジャーナルがエヴァンスらの論文の掲載を拒否しています。

以下、PLOS Pathogensに公開された、緊急の問題とより大きな問題について概略説明します。

バイオセキュリティの問題を解決するために

人工遺伝子合成による人工的パンデミック(世界的な大流行)は、甚大な被害をもたらします。一方で、エヴァンスらは市販のDNAフラグメント(断片)に供給を依存しているため、DNA合成をおこなっているプロバイダが受託合成したDNAの塩基配列を適切にスクリーニングすることによって、もっとも深刻と考えられる悪意を持つ人によって不用意に合成され拡散されるリスクが排除されます。

今日、スクリーニングは国際遺伝子合成コンソーシアム(IGSC)に加盟している会社によって任意でおこなわれており、うち概ね20%がスクリーニングされないままに供給されているものと考えられています。今後期待されているのは、クラウドベースの国際的なネットワークを介して正確なフラグメントの配列情報をスクリーニングしつつ、営業秘密を保護するために暗号化を採用することです。

今回の人工合成された馬痘ウイルスの事例が、スクリーニングを推進するきっかけになるものと考えられます。ジャーナル共同体、プロフェッショナル組織、企業、大学が「汚れた」DNAを供給しているプロバイダに対してボイコットを実施し、ファンディングエージェンシー(研究費の配分機関。日本では、日本学術振興会、科学技術振興機構、日本医療研究開発機構等がそれにあたる)はバイオセキュリティ上問題がある配列の合成を未然に防ぎます。

これにより、公的研究費の出資者である納税者の期待に反する研究にかかるコストを発注段階でストップすることができるというものです。

表1 危険な遺伝子配列のDNA合成を受託した場合の受入体制

(PLOS Pathogensのオープンアクセス論文より引用)

https://doi.org/10.1371/journal.ppat.1007286

科学者コミュニティの最適化

私たちの社会は、科学に関わる事業体も含めて、現実に災害が発生するまで問題解決に対する意識が低いと感じられることがあります。

もし仮に、計画された馬痘ウイルスに関する研究を他の専門家が事前に知っていたとすれば、彼らはより安全な方法を本人に提案できたかもしれません。実験を開始する前に専門家の助言を日常的に受け入れることは、科学の進歩を加速させるだけでなく、問題を発生させる危険性を最小限に抑える可能性が高まります。

現状の科学者コミュニティの慣行は、それらの観点から最適化されているとは必ずしも言えません。私たちは、潜在的に多くの人たちに影響を与える可能性があるデュアルユース技術に関して、優先的に早期にピアレビューを試してみるべきなのかも知れません。

合成生物学研究における「情報の危険性」の計量化

MITの生物学者であるケヴィン・M・エスヴェルト氏は、合成DNAをスクリーニングする暗号技術は、危険な病原体の生成を防ぐのに役立つだろうと指摘しています。一部のDNAの塩基配列情報は危険なものであるという考え方は安易に見えるかもしれませんが、残念なことに事実で実際に問題が発生しつつあります。誰もが核兵器の作り方が公開されるべきだと考えていないとしても、ウイルスのゲノム配列が一般に広く公開されるべきであると全面的に信じられています。

これは、DNA合成が困難である状況においてはさして問題にはなりませんでした。しかし、今日のようにDNA合成が容易になり、様々な人たちがアクセスできるようになると、人々に問題を起こさせるような塩基配列のオーダーもオンライン上で自由にできるように。情報には危険が含まれているという意識を高め、よく話し合い、情報公開にはコストが伴うことを認識した上で、コストを最小化するための措置が必要です。「情報の危険性」の問題は、言い換えれば「コモンズ(情報を広く公開すること)の悲劇」問題でもあるのです。

DNAの合成情報の暗号化

私たちは、DNA合成の容易さと潜在的なパンデミックの可能性に関して、具体的な方策を講じる必要があります。すべてのDNA合成に関して、ある種のスクリーニングをおこなうことが解決策となり得ます。

スクリーニングを実施するIGSCは、炭疽菌テロ事件後、DNA合成業界のマーケットリーダーによって設立されました。会員企業は市場の80%しかカバーしておらず、かつ企業が自社内で合成されているものに関してはカバーされていません。また、IGSC企業が実際にスクリーニングをおこななっていることを外部から検証する方法や、適切なものをスクリーニングする方法も確立されていません。

実効的な結果を得るためには、安全のための徹底したシステムを作る必要があります。世界中のすべてのDNA合成が自律的にチェックされ、有害な配列が発見されなかった場合にのみ合成が開始されなければなりません。企業は、自社が合成している具体的な配列を他社に知られたくないという動機を持っていますが、これは現在の暗号化技術で完全に秘匿することが可能です。PLOS Pathogensでの議論のポイントは、この暗号化技術の基礎を構築することにあるのです。

参考文献
1. Construction of an infectious horsepox virus vaccine from chemically synthesized DNA fragments
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0188453
2. Scientists Are Getting Seriously Worried About Synthetic Smallpox, And We Need to Keep Alert
https://www.sciencealert.com/here-s-why-scientists-are-suddenly-seriously-worried-about-smallpox
3. Inoculating science against potential pandemics and information hazards
https://doi.org/10.1371/journal.ppat.1007286
4. Taming “information hazards” in synthetic biology research
https://news.mit.edu/2018/taming-information-hazards-synthetic-biology-research-1004
5. International Gene Synthesis Consortium
https://genesynthesisconsortium.org/
6. Genome of Horsepox Virus
https://jvi.asm.org/content/80/18/9244

関連キーワード
学術の関連記事
  • 電気が無限に使える未来を創る 再エネ普及の鍵「デジタルグリッド」とは(後編)
  • 電気が無限に使える未来を創る 再エネ普及の鍵「デジタルグリッド」とは(前編)
  • 科学者たちは人工合成された馬痘ウイルスのリスクを憂慮し始めている
  • 「理想を追い求めるアカデミア、資本主義の産業界」-「第3回 再生医療産学官連携シンポジウム」でパネル討論会
  • 仮想通貨だけじゃない!「ブロックチェーン」で生活はどう変わる?
  • 先生は「上司」じゃない 〜いい研究室の条件とは〜
おすすめの記事