更科 功 プロフィール

「進化」を目撃することは無理なのに

生物は進化する。

そんなことは当たり前で、おそらく読者の中に、この説を認めない人はほとんどいないだろう。小さな子供に「生物って進化するの?」と聞かれたら、あなたは自信をもって「そうだよ、生物は進化するんだよ」と答えられるにちがいない。しかし、同じ子供に「なぜ生物は進化するの?」と、進化する理由を聞かれたら、どう答えればよいだろうか。

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私たちが周りを見ても、なかなか生物が進化していることはわからない。ゾウやヒトみたいに目に見える大きな生物は、進化するのに長い時間がかかる。私たちが一生のあいだに、進化を目撃することは無理なのだ。

一方、進化速度が速い細菌のような生物は、小さくて肉眼では見えない。だから、普通に生物を見ていれば、進化していることに気づかなくて当たり前だ。いやむしろ、生物は進化しないと考える方が自然なのである。ダーウィンなど昔の人は、生物が進化していることによく気がついたなと、私などは感心してしまう。

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しかし考えてみれば、生物は進化して当たり前なのだ。進化しない方が難しいのだ。それを私に気づかせてくれたのが、ハーディ・ヴァインベルグの定理だった。

退屈なハーディ・ヴァインベルグの定理

集団遺伝学の講義で、初めてハーディ・ヴァインベルグの定理を習ったとき、私はなんてつまらない定理だろうと思った。ハーディ・ヴァインベルグの定理なんて当たり前ではないか。こんなものをありがたがって、何の意味があるのか。

ハーディ・ヴァインベルグの定理は、イギリスの数学者であるゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(1877〜1947)とドイツの医師であるヴィルヘルム・ヴァインベルグ(1862〜1937)によって、1908年に別々に発見された定理である。

私たち動物(の細胞)は、同じ種類の遺伝子を2つずつ持っているので、2倍体の生物といわれる。たとえばABO血液型の遺伝子はAとBとOの3種類ある。私たちは、その遺伝子を2つずつ持っている。たとえば血液型がA型の人の遺伝子型はAAかAOだし、O型の人はOOになる。

さて、ここでは話を簡単にするために、遺伝子Oは無視して、AとBだけ考えることにしよう。つまり血液型はA型(遺伝子型はAA)とAB型(遺伝子型はAB)とB型(遺伝子型はBB)の3通りしかないとするわけだ。

ここで、男性と女性が50人ずつ、合わせて100人の集団を考えよう。血液型を調べたら、64人はA型で、32人がAB型、そして4人がB型だった。この集団内では全員がランダムに結婚して、それぞれの夫婦が子供を2人ずつ産む。つまり、次の世代の人数も100人で変わらない。このとき、次の世代の遺伝子型はどうなるだろうか。

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遺伝子型はA型とAB型とB型の3種類もあって面倒なので、AとBの2種類しかない遺伝子に注目しよう。

まず、最初の世代が持っている遺伝子Aの数を求めてみる。

A型の人は64人いるから、この人たちが持っている遺伝子Aは64×2=128個である。AB型の人は32人なので、この人たちが持っている遺伝子Aは32×1=32個である。B型の人は、遺伝子Aを持っていない。合計すると、遺伝子Aはこの集団の中に128+32=160個あることになる。

同じようにして遺伝子Bの数も求めてみる。

AB型の人が持っている遺伝子Bは32×1=32個で、B型の人が持っている遺伝子Bは4×2=8個である。合計すると、遺伝子Bはこの集団の中に32+8=40個あることになる。

つまり遺伝子AとBの割合は、160:40=4:1=0.8:0.2になる。

つまり、男性の精子が遺伝子Aを持っている確率は0.8で、遺伝子Bを持っている確率は0.2である。この確率は、女性の卵でも同じになる。したがって、産まれた子供がA型になる確率は、精子がAをもつ確率0.8に卵がAをもつ確率0.8を掛ければよい。

つまり、0.8×0.8=0.64である。次の世代のA型の人は(次の世代も合計人数は100人なので)、100×0.64=64人になる。これは親の世代のA型の人数と同じである。同様にして計算すると、次の世代のAB型は32人、B型は4人になり、こちらも親の世代と同じになる。

このように、世代を超えて遺伝子頻度も遺伝子型頻度も変わらない状態を、ハーディ・ヴァインベルグ平衡という。そして、ハーディ・ヴァインベルグ平衡が成り立つことを数学的に示したものを、ハーディ・ヴァインベルグの定理という。

 

進化のメカニズムは4つしかない

確かに、ハーディ・ヴァインベルグの定理が言っていることは、当たり前かもしれない。遺伝子頻度から遺伝子型頻度を予測するときなどには便利かもしれないが、それを別にすれば「特別なことがなければ、ハーディ・ヴァインベルグ平衡が成り立つ」と言っているだけなのだから。でも、ハーディ・ヴァインベルグ平衡とは、何を意味しているのだろうか。

実は、「ハーディ・ヴァインベルグ平衡が成り立つ」とは、「進化しない」ということだ。進化とは「遺伝する形質が世代を超えて変化すること」だ。トレーニングによって発達させた筋肉は、子供に遺伝しない。だから、トレーニングによる筋力アップは進化ではない。

一方、遺伝子は遺伝する。だから「世代を超えて遺伝子の頻度も遺伝子型の頻度も変わらない状態」つまり「ハーディ・ヴァインベルグ平衡」は、「遺伝する形質が世代を超えて変化しない状態」だ。つまり、ハーディ・ヴァインベルグ平衡が成り立っていれば、生物は進化しないのである。逆に考えれば、生物が進化するのは、ハーディ・ヴァインベルグ平衡が成り立たないときなのだ。

では、ハーディ・ヴァインベルグ平衡はどういうときに、成り立つのだろうか。さっき血液型の話をしたときは、人数が100人の集団を考えた。でも、本当は100人では足りない。たしかに確率通りにいけば、次の世代では100人のうちの64人がA型になる。でも実際には65人かもしれないし、62人かもしれない。たいてい少しはズレてしまうのだ。

このように、偶然によって遺伝子頻度がズレることを遺伝的浮動という。遺伝的浮動をなくして、確率通りにするための方法は、1つしかない。それは、集団を無限大にすることだ。したがって、集団を無限大にすることは、ハーディ・ヴァインベルグ平衡を成り立たせるための条件の1つだ。

実は、ハーディ・ヴァインベルグ平衡が成り立つためには、下記の4つの条件が必要である。

  • (1)集団の大きさが無限大であること。
  • (2)対立遺伝子の間に生存率や繁殖率の差がないこと。
  • (3)集団に個体の移入や移出がないこと。
  • (4)突然変異が起こらないこと。

この4つの条件が1つでも満たされなければ、ハーディ・ヴァインベルグ平衡は成立しない。つまり、生物は進化する。逆にいえば、この4つの条件を破るメカニズムが、そのまま進化のメカニズムになるのである。

したがって、進化のメカニズムは4つしかないことになる。(1)の条件を破る遺伝的浮動と(2)の条件を破る自然選択と(3)の条件を破る遺伝子交流と(4)の条件を破る突然変異である。意外と進化のメカニズムって少ないのだ。進化には色々なメカニズムがあるように思えるが、みんなこの4つに含まれてしまうのだ。

でも、この4つの条件をすべて満たすのは、なかなか大変だ。というか、そもそも(1)の条件を満たすことは不可能だ。集団の大きさは必ず有限なのだから。

したがって、最初に紹介した「なぜ生物は進化するの?」という質問への答えは、「4つの条件をすべて満たすことは出来ないから」である。たとえば「生物の数は有限だから」だけでも、「なぜ生物は進化するの?」の答えになっているのである。

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