生物系の研究室の大学院生が身近にいる場合、彼らが「細胞の世話」をしていると聞いたことがあるかもしれません。この「細胞の世話」とは一体なんなのか、この記事で説明しようと思います。

―ある週末―

A「晩飯食いに行こうぜ」

B「ちょっと俺この後研究室寄らなきゃだめで…」

A「お前日曜も研究室いくの!?忙しいなあ…」

B「いや、ちょっと細胞の世話をするだけだからさ、大したことではないよ」

生命科学を専攻している大学院生が、身近にいる場合、このような会話を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。ない人はすみません。

彼らのしきりに持ち出す「細胞の世話」とは、なんのことなのでしょうか。なんか難しい答えが返ってきそうだしなあ、と思って深く突っ込まない人のために、今回は生物系の研究室ならどこでも行う、「細胞培養」について書いていきたいと思います

細胞培養の歴史


wikipediaより

細胞は、生体内では安定に存在していますが、生体外に出すと、適切な環境を整えて「培養」してやらないかぎり、すぐに死んでしまいます。そのため、遺伝の法則で有名なメンデルや進化論のダーウィンの時代である、19世紀の生命科学の研究の多くは、個体レベルの形質に注目したものでした。細胞レベルでの様々な生体のメカニズムが分かってきたのは、生体外で細胞を生かして、実験を行うことができるようになった、20世紀以降です。

記録されている最初の生体外での細胞培養の報告は、1907年のカエルの神経細胞の培養です。その後、鶏の細胞等も、生体外で生かせるようになりますが、これらの通常細胞には寿命があり、一定回数分裂すると死んでしまいます。

そこで、1940年にマウス由来のL細胞という、半永久的に分裂する不死化細胞が作られました。こういった不死化細胞は、細胞の寿命を気にすることなく実験でき、非常に都合がよいので、多くの研究で使われています。というのも、例えばマウスの細胞を使った実験を行いたいときに、わざわざマウスを殺して細胞をとってこなくても、隣の研究室が持っている、マウス由来の不死化細胞を少し分けてもらって、分裂させて増やすだけでいいのです。

時代を超えて生き続けるHeLaさん

有名なヒト由来の不死化細胞に、HeLa(ヒーラ)細胞という細胞があります。勘の良い方はお気づきかもしれませんが、この細胞は、子宮頸がんで病院に通う、30代黒人女性のHenrietta Lacksさんから採取された組織より単離され、本人が知らないうちに無断で培養されたものです。詳しいいきさつはこのページに載っています。

さらに、本人が死去した1951年の翌年に論文が発表され、この細胞が初のヒト由来の不死化細胞であったことから、今でも研究用に世界中の研究室で用いられる細胞となりました。

世界中の科学者が、HeLaさんのガン組織由来の細胞を、使っているわけです。なんだか変な話ですね。自分の知らないうちに、細胞が提供され、科学の進歩に多大に貢献した天国のHeLaさんは、現状をどうおもっているのでしょうか。

細胞のお世話

さて、最初の話に戻りまして、細胞の世話とは具体的にはなにをしているのでしょうか。

細胞は、37度、5%のCO2濃度を保ちながら、生きるための栄養分が入った培地という液体中でシャーレというプラスチックの容器を用いて育てます。細胞が生体外で生存するためには、その濃度が大切です。増殖しすぎると、栄養分がなくなって死んでしまうし、逆に濃度が薄すぎても死んでしまうからです。そのため、培養している細胞は増えすぎないように、数日ごとに適切な濃度になるように希釈したり、新しい栄養を補給したりする必要があるわけです。

細胞は非常に環境にデリケートな生き物(?)です。したがって、細胞培養において一番避けなければいけないことは細菌や酵母などの混入です。なぜなら彼らは、異常なまでにタフな生き物だからです。37度で栄養たっぷりな環境を見つければ、細胞を凌駕する勢いで増殖して駆逐してしまいます。

もちろん、彼らの侵入を防ぐために実験室では、通常はクリーンベンチという無菌的な状態の空間ですべての作業を行います。手の消毒も欠かさず行います。しかし、それでも彼らはごくたまに現れて実験をめちゃめちゃにするのです。

幸いにも僕はそんな経験はないですが、もし友達が「コンタミ(細菌の混入のこと)した・・・」と落ち込んでいたら慰めてあげましょう。一説によると納豆を食べた後に細胞の操作を行うと、納豆菌が混入するからアウトなんだとか…。

最後に

実験に用いる細胞は、その目的によって様々な種類があり、それぞれ増殖速度や必要な栄養が異なり、培養方法も異なります。

もし、生物系の研究室の友達に研究の話をしてもらったり、細胞の世話の話が出てきたりしたら、「ところで、君はどんな細胞を使っているの?」と聞いてみましょう。きっと喜んで使っている細胞の由来や、それは不死化細胞なのか、なぜその細胞を使う必要があるか等を説明してくれて、コミュニケーションが深まるのではないでしょうか。

*7/23 16:38 誤植を訂正しました。