収穫前の農作物が野生動物に食べられてしまう食害被害。日本国内での年間の被害総額は約200億円にものぼり、そのうちイネにおける被害は約4割を占め非常に深刻な問題となっています。被害の多くは山間部に集中しているため、人員の少なさや防除の難しさからも安価でかつ効果的な防御策が求められています。

そんな食害被害を遺伝育種学を通じて解決しようとしているのが、名古屋大学生物機能開発利用研究センターで博士研究員をする別所奏子さんです。食害被害対策に関する若き女性研究者の取り組みを追いました。

別所奏子さん

名古屋大学 生命農学研究科 高次生体分子機能研究分野出身。現在は、名古屋大学生物機能開発利用研究センターで博士研究員として「野生鳥獣からの被害を軽減するイネ品種の作出」について研究をされています。2017年度 第 12 回「ロレアル-ユネスコ女性科学者 日本奨励賞」生命科学分野で受賞。他にも日本育種学会で優秀発表賞、名古屋大学 若手女性研究者サイエンスフォーラム総長賞など、数々の賞を受賞している注目の女性科学者です。

<研究歴(受賞歴、論文掲載など)>

【受賞歴】

・第128回、129回、130回日本育種学会 優秀発表賞
・名古屋大学 若手女性研究者サイエンスフォーラム総長賞 受賞
・日本学術振興会 8th HOPEミーティングBest Poster Presentation Award受賞

【論文掲載】

・Proc Natl Acad Sci U S A. 113(32): 8969-8974. (2016)
・Breed. Sci. in press (2017)

世界の食糧問題を解決したい、高校で受けた授業がきっかけ

ーー別所さんは今回ロレアル-ユネスコ女性科学者 日本奨励賞を受賞されましたが、大学時代はどんな学生生活を送っていたのでしょうか?

普通に授業を受け、バイトをし、サークルの仲間と遊ぶ普通の大学生でした。1つ特色としてあげるとしたら、大学2年生の時に農家に住み込みでバイトに行ったことでしょうか。トマト農家とモモ農家で、それぞれ1ヶ月と3週間働きました。そのとき、農家は未だにローテクでほとんど全部の工程を人が動かしているという事実を目の当たりにしました。もっと機械化が進んでいるというイメージを持っていたので衝撃でしたね。農業を支えている人は高齢者がほとんどで、農家の人材不足を肌で感じたときでした。

ーー大学2年生の時の出来事がきっかけで、農業の人材不足について課題意識を持ったのですね

そうですね。また、話は前後するのですが、高校の時に池間哲郎さんという発展途上国の現状を記録されているカメラマンの方の特別講義で世界の食糧難の話を聞いたのをきっかけに「食糧問題を解決したい」という思いを持っていました。マンホールチルドレンの写真を見て、世の中には貧しくて食べ物もない子供達がいるということに衝撃を受けたのです。当時、遺伝子組み換えについて習っていたこともあり、この問題をバイオテクノロジーで解決したいと考えました。将来働く場所として、国連や青年海外協力隊に行こうかなとも考えていました。

山梨県の農家で住み込みバイトをしていた時の様子(写真中央が別所さん)

別所さんは、「栽培イネが*芒(のぎ)を失った理由の解明と、育種における芒の有効活用」というテーマで研究を行い、芒を作る原因遺伝子RAE2遺伝子を新たに発見しました。この研究により、野生動物の食害被害を抑えることが出来る新たな品種を作出する可能性があるといいます。

*芒(のぎ):イネの種子先端に出来るトゲのようなもの。野生イネには存在したが、栽培家の過程で喪失したため、イネ種子は野生動物の食害に合いやすくなった。

ーー高校の授業や大学での課外活動の経験が、現在行っているイネの芒(のぎ)の研究にも繋がっているのですね!もう少し大学時代の事を教えていただけますか?

バイオテクノロジーの勉強をして研究者として食糧問題に取り組みたい、と入学当時は考えていたのですが、色々と学んでいくうちに研究結果が社会に反映されるまでにはものすごく長い時間がかかると知りました。『もしかしたら生きているうちに結果は見られないかもしれない』と思い、それだと私が仕事を続けていく上でのモチベーションが減衰していくのではという恐れが芽生えました。そこでアプローチを変えて、先進国における食糧の大量廃棄も食糧問題の原因の1つであるため、食育を支援している企業へ就職するのも1つの手だと考えて就職活動を行い、学部3年の後期に内定をいただきました。しかし、研究室を選ぶ段階(4年生にあがるとき)になって現在の研究室の存在を知り、「私がやりたかったことをまさに体現している研究室だ!」と思い、そこに入りました。この研究室でイネの育種学の勉強を始めて、やっぱり研究者としてやりたいという情熱が再燃し、最終的には企業の内定をお断りして、博士課程への進学を決め、現在に至ります。

ーー基礎研究を行っていると、社会に貢献している実感が湧かずにそのまま卒業して就職という事は確かに多いですよね。現在の研究ではどのような部分が魅力的だと感じていますか?

現在所属している研究室の教授が中心となって、フィリピンにある国際イネ研究所(International Rice Research Institute)とJAICAとタッグを組んで研究を行うWISHプロジェクトを先導しています(参照:http://s-park.wao.ne.jp/archives/1790)。また、それと並行してCanon財団からの支援により現地でイネの普及活動も行っています。このように基礎研究を行っていても、社会に活かせる基盤を作れている事に魅力を感じます。

ーー博士課程に進むことにしたきっかけはなんでしょうか?

大学入学時に研究者になるには博士号を取らなくてはいけないということを知っていたので、博士課程に進もうと決めたのはある意味必然でした。企業の内定をお断りするかどうかとても悩みましたが、最終的に決断した時には「よし、博士課程に行こう」という意志をすでに持っていました。それに加えて研究室では、教授も博士課程の先輩方も情熱を持って、とても楽しそうに研究していたんですよね。そのような研究室の環境が博士課程に進もうという気持ちを後押ししてくれたと思います。


実験中の様子

ーー「博士=辛そう」というイメージを持つ人も多い中、楽しく研究できるのはいいですね。博士課程に進む人を増やすにはどうしたら良いと考えていますか?

2つ方法があるかと思います。1つ目は、大学の授業で科学研究の面白さを伝えることです。教科書一辺倒になるのではなく今最もホットな最先端の科学を紹介し、科学者という職業がどれだけ楽しくて充実しているかを現役の科学者である大学教員が教えるということはとても価値があると思います。しかし、どんなに楽しそうでも就職先が無いから博士課程に行かないという選択肢は、もちろんあると思います。ポストの数に関してはすぐに解決することのない難しい問題なのですが、2つ目の方法としてアカデミアだけに囚われず、選択の幅を広げることが挙げられます。リーディング大学院はご存知でしょうか?

ーーリーディング大学院ですか、初めて聞きました

正式名称は「博士課程教育リーディングプログラム」と言いますが、文科省が先導するプログラムで、博士課程を取得後に国際社会で活躍できる人材を育成するというものです(参照:http://www.jsps.go.jp/j-hakasekatei/)。過去に「ポスドク1万人計画」が行われ、たくさんの博士号を持った研究者が排出されましたが、ポストが無く定職につけないという問題が露呈しました。このプログラムでは、博士号取得を目指す学生を金銭面からも支援し、かつグローバル社会で必要な技術を向上させるためのセミナーを開催したり、アカデミア以外の選択肢を提示し企業とのマッチングやキャリアプランの相談などを行っています。就職先が無いから、博士課程への進学を諦めるのでなく、このようなプログラムを利用することで、博士課程に行っても幅広い選択肢があるという事を知っておいて欲しいなと思います。

ーー就職先の問題はなかなか難しいものですね。働き口だけでなく働き方についてですが、研究者のリモートワークや「兼業研究者」というスタイルについてどう思われますか?

ウェットな研究(ピペットマンなどを使って実験室で行う研究)はどこかに所属しないとできないですが、パソコンを用いたドライの研究であれば、自分の家で作業することも可能です。今は生物系の研究においてもパソコンによる解析は必須となりつつありますし、各種データベースから必要な情報が手に入りやすくなっていますので、それらを利用した在宅研究というのもありだと思います。

また、兼業研究者というスタイルについては初めてお聞きしましたが、誰にも考えつかないようなアイデアがありオリジナリティの高い研究であれば、マネがされにくく時間の制約も受けないかと思いますので、その場合は可能である気がします。研究は時間や他の研究チームとの競合によっても価値が変わってくるものですから。また、研究ではないもう片方の職業からもお給料が入るので、金銭面では安定しそうで良いなと思います(笑)。

ーー別所さんの今後のキャリアはどのようなものを考えているのでしょうか?

私は、アカデミアの世界で頑張りたいと考えています。企業も面白そうだと思う反面、コストや特許などが絡んでくるため、研究の自由が制限されてしまいそうで。アカデミアでは共同研究なども比較的自由に行えますし、基礎知識の追求に寛容です。また学会等で出会う人々は40代、50代になってもみんな自分の研究を楽しそうに語るので、それがとても魅力的で、自分もそうなりたいなと思っています。

ーーアカデミアは裁量労働制で、先が見えないことがしんどいという人も多いですよね。

裁量労働制であることはむしろ私にとってはプラスですね。好きなだけ自分の実験ができますし、用事があるときは早めに帰ることも許されています(研究室によるかと思いますが…)。将来についても、私は楽観的なのであまり気にせずやってます(笑)。夫も研究者なので、二人とも今後どうなるかは分からないですけれど、どうにかなるだろう!と思っています。そういう気持ちでないと研究者は難しいかもしれませんね。

ーー旦那さんも研究者なのですね。

そうです。夫は、蛍など発光生物の研究をしています。

研究者夫婦で楽しいですけど、夫の方が理詰めで物事の受け答えをするので、夫婦喧嘩では必ず負けます(笑)

ーー最近お子さんも生まれたのですよね?

はい。今生まれて1ヶ月目です。どんどん可愛くなってきました。

先人がつくったパスを繋ぐ 女性研究者という生き方


ロレアル-ユネスコ女性科学者 日本奨励賞授賞式の様子(日本ロレアル提供)

ーー日本において女性研究者の占める割合はかなり低いですが、女性であることが不利になるなと思ったことや、逆に女性で良かったなと思う事は何かありますか?また、今後改善できる提案などあれば教えてください。

今年の 3月まで学生だったので、これまでに聞く「男女で採用に差がある」といった厳しい状況にはまだ当たっていません。現状で思うことをあげるとしたら、子供を産む前後3か月(出産までの1ヶ月と産後の2ヶ月)は産休を取らないといけないことですね。体力も衰えているのでもちろん取るべきなのですが、その間は研究が進まないことにヤキモキしてしまいます。対して夫は進捗が出るのが羨ましいです。出産や授乳は女性しかできませんが、おむつを替えたり、寝かしつけをするなど手伝える所は手伝ってもらい、夫が子供を見てくれている間に論文を書いたりしています。

女性で良かったと思う点としては、今回頂いたロレアル-ユネスコ女性科学者 日本奨励賞も女性限定の賞ですし、他にも女性だけが応募できるグラントもあるという点ですね。ただ、これが「逆差別」だと言われないよう、気をつけて取り組むべきだとは思います。

女性研究者支援セミナーなどでも頻繁に口にされることですが、周囲の理解と女性自身の意志改革が必要だと思います。育児で研究に対する時間が取れないとき、その状況が辛いのは女性研究者本人です。それに加えて周囲が理解を示さず非難するような態度をとるのであれば、キャリアを途中で断念する方がいても仕方の無い、辛い状況だと思います。また一方で女性の方が出世に対して意欲的じゃないとか、もっと上に行くんだというモチベーションが低いと言われることもあります。上記した状況がそうさせているのかもしれませんが、先人の女性科学者たちが苦労して作ってくれたパスを繋いでいくのは女性自身だと思います。

周囲の理解が進み、保育所など女性が働きやすい環境が整備されることによって、これまで手を挙げることができなかった女性達が手をあげやすい世の中になるといいなと思っています。

ーーご専門の遺伝育種学の魅力、植物を研究する面白さについて詳しく教えて頂けますか?

遺伝学は後代の分離比が簡単な数学で予想でき、論理に基づいて進められる学問です。例えば、私は、野生イネと栽培イネを材料に使用しているのですが、野生イネのある特定の染色体領域を栽培イネに組み込む際には、まずこの2種を掛け合わせます。その後代のいくつかの系統においてPCRやシークエンスを行い、必要な領域が野生イネに置換しているものを選抜します。このとき組み換え価などを計算することによって、あと何回交配をしたら必要な最小領域のみを導入ができるかと予測がたちます。そうして実際に目的の領域を持った品種を作出することができるという点が遺伝育種の魅力ですね。

また、植物は動くことができないため周囲の環境に適応すべく様々な戦略をとっていることが植物を研究していて面白いと思う所です。例えばタイでは毎年ひどい洪水被害にあいますが、洪水時には草丈を4-5 m伸長させて生き残る浮イネというイネが存在しています。このように植物の持つ、眼を見張るような適応戦略を遺伝子レベルで解明していくことに情熱を燃やしています。


実験で用いられたイネの苗

ーー今、イネ以外で注目している植物はありますか?

私は、芒の研究をする前はイネの地下茎の研究をしていました。地下茎とは、その名の通り地下にできる茎なのですが有性生殖を経ずに、親個体の一部が子になるという栄養繁殖に貢献する器官です。植物の栄養繁殖の仕組みはあまりわかっていないので、栄養繁殖をする植物に興味があります。最近注目している植物としてベンケイソウがあります。この植物は、親の葉の縁に子供ができ、その子供が地面に落ちて、また1つの個体として成長するという栄養繁殖戦略をとります。親の葉の一部から子供ができる際には、何の刺激を受けて、どのような遺伝子が働いているのかという分子メカニズムに興味があります。

ーー最後に理系学生にアドバイスがあれば教えてください

博士課程は自分が研究を楽しむことができれば最高の場所です。単に実験をこなすだけではなく、学会でプレゼンをしたり、論文を書いたりと、論理的な思考能力に加えて対人能力や文章力など、多くの力が身につきます。確かにオタク気質の人も多いけれど(笑)、博士課程で経験したことはその後必ず役に立つし、学びの多いユニークな場だと思います。理系・文系関係無く、多くの知識を吸収し、どのような物事にも知的好奇心を持って、その裏側にある原理や理論を解き明かそうという気概を持って人生を生きることはとても楽しく、毎日が刺激に溢れるものになりますよ。また、研究者のことを特別な職業と捉えず、将来の職業の一つの選択肢として考えてもらえるような社会になって欲しいなと思います。