かつて産業の米と呼ばれた半導体。日本の半導体技術は70年代から急速に発展し、80年代後半には世界シェアの約半分が日本製だった。しかし、90年代半ば以降は安い海外製品に苦戦を強いられ、多くのメーカーが半導体産業から手を引いた。

しかし、IoT(モノのインターネット)・次世代通信(5G)の波が押し寄せた今、再び日本の半導体が注目を浴びている。

コネクテックジャパン株式会社は、代表取締役の平田勝則氏ら3名がパナソニックを退職後に設立した、半導体技術が売りのベンチャー企業。新潟県の上越妙高市の工業団地の一角に本社がある。

ICチップを基板上に実装する際の接合温度・接合荷重を大幅に下げることに成功し、熱に弱い樹脂基板、ウェアラブルデバイスや医療機器のICチップの開発に一役買っている。今回は、株式会社コネクテックジャパンの小松裕司さんに話を聞いた。

日本で見過ごされる半導体の市場性 

ーーコネクテックジャパンが立ち上がったのはいつですか?

うちが出来たのは2009年、リーマン・ショック後です。弊社社長の平田をはじめ、パナソニックを辞めた3人で立ち上げました。リーマン・ショック後は半導体メーカーのみならず、多くの大手メーカーが人員削減に乗り出し職にあぶれた人が出ました。それをなんとか乗り越えて雇用を生み出したい、製造業で雇用を生み出したいと言う思いからコネクテックジャパンは立ち上がりました。

弊社ではICチップを基板上に実装する際の接合温度・接合荷重を下げることができる半導体実装技術「MONSTER PAC」を開発しました。通常240℃の高温と、1バンプ(基板上の端子1つ)あたり2.4グラム重(gf)という荷重が必要になるため、巨大な装置と広大な敷地が必要でした。このプロセスを170℃以下、荷重を従来の1/20以下にまで下げることに成功し、そのため製造装置を卓上サイズまで小型化することに成功しました。デスクトップに収まる工場ということで、デスクトップファクトリーと名付けました。

提供:コネクテックジャパン

ーー低迷が続いていた半導体の分野であえてベンチャーを立ち上げたのはどうしてですか?

一番は市場性ですね。確かに、リーマンショック後は世界的にも落ち込みました。でもその後は回復してきて今でも世界的にみたら成長産業です。その理由としては、新しいアプリケーションがどんどん出てきてることですね。昔は電卓でしたが、ノートpcにゲーム、最近の自動運転やAIではまだまだCPUもメモリも必要です。昔だったら、「そんな高い計算能力あったところで何に使うんだ」って感じだったんですが、アプリケーションが発展していくにつれ業界全体も発展しています。そういう好循環が世界的にみたら続いていますね。

卓上型バンプ印刷機

ーー上手くいってないのは日本国内の話で世界的には将来性があると。

アメリカやアジア諸国だけでなく、インド、中東のオイルマネーも積極的に投資してますし、イスラエルは軍事色が強いですが半導体ベンチャーが盛んです。悪く言ってるのは日本くらいで、特に省庁の人が多いですよ(笑)。経産省の国家プロジェクトが失敗していることも関係してるでしょう。

ーー国家プロジェクトの失敗?

半導体で言うと、システムチップ関連のプロジェクトがありますしメモリの集積化のプロジェクトもありました。あと、スーパー*クリーンルームっていうのにも非常にお金を投資してました。ただ日本のデバイスメーカーが全部半導体から撤退していって、使う企業がいなくなってしまった。国家プロジェクトは、日本企業しか参加しちゃダメというのが多いから東芝くらいしか使ってなかったんですよね。しかしここに来て東芝は半導体を切り離そうとしてますから、経産省としては半導体以外をやろう、となるのは当然かもしれません。

*クリーンルーム:空気清浄度が確保された部屋のこと。電子産業分野においては工程上非常に厳しい清浄環境が要求される。

ーーとはいえ、半導体は日本の主要産業だった時代もあるわけです。しがみついてでも守れなかったのってなんででしょうか?

日本のプロジェクトが、基本的に国内の技術だけでやろうとしてるからじゃないですかね。グローバルに共有しなきゃダメですよ。裾野が広いしお金もかかります。色んな技術組み合わせてやっとできるのが半導体なんですよ。

ーー半導体は設備投資や維持が相当コストかかりますね。

設備投資もお金かかりますし、研究開発もお金がかかります。国内だけだと投資額が低い、たとえ国内的に高い割合で投資していても世界的にみたら厳しいものがあるんですよ。半導体で有名なコンソーシアムは*imec(アイメック)っていってベルギーにあるんですが、ヨーロッパのコンソーシアムは参加が自由なんですね。だから日本の企業も参加できますし、お金払ってでも参加する価値はあります。


imec:半導体プロセス分野を中心に、ナノエレクトロニクスやデジタルテクノロジー技術開発を手掛ける研究組織。ベルギーを拠点に置く。

ーー国家プロジェクトならお金が貰えますが、コンソーシアムは払わないといけない、となると前者の方が魅力的な気がしますが。

コンソーシアムにお金払ってでも参加する意義は、お金を払った以上の成果が得られるからです。プロジェクトはお金を貰えても成功しない限り人を使う負担が大きいんですよ。象徴的なのは露光装置。露光装置って半導体関係で一番高い装置で、光をあてて細かい回路を書くのに必要となるもので、人類史上最も精密とも言われます。もともとリコーとかキャノンとか精密は日本は強かった。しかしASMLというimec初のオランダの企業に、いろんな技術をモジュール化して寄せ集めてつくった技術にシェアを奪われてしまいました。日本国内だけでやってきたのが難しかったんだなと思います。

ーー世界のリーディングカンパニーだとしても、一社内の研究開発部門だけでは成果が出ないのですね。アメリカと交わされた*日米半導体協定が良くなかった、という意見も聞いたことがありますが

日米半導体協定ね、あれも確かにあるとは思いますが、物語の一部だと思います。研究開発って、新しいものを作ってたらそこそこ競争力はあったと思うんです。日本もメモリは強かった、とにかく小さく作れば勝てるんですが、CPUみたいに更に工夫が必要なチップは日本から出てこず、競争力がなかったのが致命的です。フラッシュメモリーやカメラに使われるイメージセンサーといったシェアは50%くらい日本が持ってたりしますが、CPUに関してはintelやIBMに敵いません。研究開発が上手く行ってなかったんですよ。日米貿易摩擦は確かにあるんですが、韓国や台湾企業にもコストの面で勝てていない。貿易摩擦は部分的な問題でしかありません。いずれにせよ日本のビジネスが非常に閉じた環境でおこなわれていることは問題です。

日米半導体協定:1986年に日米間で締結された協定。91年の改訂では日本市場における外国製半導体のシェアを20%以上に引き上げることを目標とする条項が付け加えられた。

高速耐久試験装置 ドラマ「下町ロケット」でも使用された

ーー普段の取引先は、どういったところなのですか?

もともと台湾・韓国・中国から販売プロモーションかけていったので海外がメインです。日本の場合だとベンチャーと言っただけで財務能力を心配されてあまり付き合ってもらえないことが多い。海外はそういう会社が多いですし、実装に関してはアジアのほうが伸びてましたので。

大手メーカーから半導体ベンチャーに転職した理由

元々はソニーで技術者として働いていた小松さん。ソニーを辞めたのは53歳の時だった。なぜソニーを辞めて新潟のベンチャーに飛び込んだのか?

ーー小松さんはなぜソニーをやめてコネクテックジャパンに転職されたのでしょうか?

ソニーも、元々は技術の会社でしたが時代が変わって開発に力を注がなくなったのです。昔は社長や役員にも技術者がいましたが、今はほとんどいません。かつては熱を入れていた研究開発から、映画とか保険、不動産の方にハンドルを切ったんですよね。働いてた頃は技術マネジメントをやってて、研究所の管理をしてたのですが、方針が変わったために研究所にいた方も大量に辞め、私も技術を活かせるところに行きたいとの思いからコネクテックジャパンに転職しました。あと新潟は私の地元でもあるので、やはり落ち着きますね。

ーー他の社員の方も大手メーカーから来られるのですか?

ほとんど大手の技術職から来てます。学生さんなんかと話すと、「ベンチャーってもっと若いと思ってました」と言われてちょっとへこみますね(笑)。

ーー社員の方の平均年齢はいくつぐらいなんですか?

平均年齢は50歳超えるんじゃないかなぁ。IT系の発想の斬新さが勝負のベンチャーは若い人の方が有利かもしれませんが、製造業となると経験とか全てのピースが揃って初めて出来ることもあるんです。ただこのままじゃ続かないので、若い人大歓迎ですよ(笑)。

ーー理系学生に向けて何かアドバイスがあればお願いします

最近の学生さんはすごくしっかりしてると思う反面、グローバルに物事を見る視点に欠けていると感じることがあります。日本のメディアだって国内のニュースばかりで、世界で何が起こっているかは自ら知ろうとしない限りは情報を得ることはできません。日本は失敗を許容できない文化的背景があるので、安全思考になってしまうのかもしれません。社会の習慣が違うところでアメリカのようにやれというのは無理な話ですが、色んな視点をもって色んな挑戦をして頂きたいですね。