「研究の原動力は”虫が好き”という気持ち」

幼いころから、虫を観察するのがライフワークだった吉澤先生。「おもしろい、というよりも、とにかく虫を見る習性があるのかもしれない」と語る氏は、その純粋な好奇心を研究というフィールドにおいて「こだわり」という武器に変えた。しかし、今年イグ・ノーベル賞を受賞できたのは、「偶然が重なりあった結果と、これまでの多くの昆虫学者の功績があってこそ」だと言う―。そんな北海道大学農学研究院の吉澤和徳准教授に、「好き」が受賞に繋がるまでの経緯と、基礎研究の重要性についてお話を伺いました!(前後編の前編をお届けします。)

<前編>

・「進もう」と決めて歩んだ道ではなかった 〜偶然の重なりが生んだキャリア〜
・分類学に携わるすべての研究者で受賞を果たした 〜イグノーベル賞受賞の裏側〜

<後編>

・科学の”扱われ方”について 〜受賞報道と基礎研究〜
・「好き」を手放さず遊ぶこと 〜吉澤先生にとっての研究とは〜

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(論文概要)

本研究では、ブラジルの洞窟に生息するトリカヘチャタテというチャタテムシの一種が、雌雄逆転した交尾器を持つことが明らかにされた。一般的にペニスは雄の交尾器とされているが、トリカヘチャタテは雌がgynosomeと呼ばれるペニスに似た交尾器を持つ。交尾時、雄は精子と栄養を含む精液を雌に受け渡すが、その交尾の形態に合わせてgynosomeの進化が起こったと考えられる。

「好き」と「偶然」が重なって、気づいたらこの道を歩んでいた。

ーー まず、吉澤先生のご専門について伺います。昆虫分類学、系統学とはどのような学問なのでしょうか?

系統学とは生き物の歴史的な繋がりの中からある種の形や分類群の多様性がどのような背景をもって進化してきたのかということを明らかにする学問です。分類学は読んで字のごとく、生物に見られる共通性や多様性に基づいて生物を分類し、考察する学問です。どちらも、生物の多様性に骨組みを与えるものとしてとらえてもらえたらいいのかなと思います。

普通、科学というのは仮説があって、それを色々な実験で検証するのが正当な手順ですよね。それに対して分類学や形態学のような分野は「記載科学」と呼ばれていて、とにかく未知のものを見つけたらひたすらそれを掘り出して記述していくっていう学問です。口の悪い人なんかだと、「切手集め」だったり、「穴掘り研究」などと言ったり……(笑)。この手の分野の研究者は目的があって研究をしているだけではなく、「誰もやっていないからやる」ということも研究のモチベーションになります。

ーー 昆虫形態学、系統学の魅力は何でしょうか?

自分自身は虫が好きでこの世界に入ったので、この学問が他の人にとってどう面白いのかについてはなかなか客観的に言及しづらいのが正直なところです(笑)。昆虫に限らずどの分野でもそうだけど、科学は誰も見たことない、誰も知らないことに、一番最初に触れられるのが魅力だと思います。

ーー 虫が好きなのは幼い頃からの趣味の延長線上なのでしょうか?

そうですね。母親にも、赤ん坊の頃から虫をいじっていればとにかくご機嫌だったと言われています。朝起きて台所のゴキブリホイホイを広げてじっと見ていたというおぼろげな記憶があって(笑)。何かが面白くて見ていたというよりは、生まれつき虫を眺める習性のような何かがあったのかもしれない。

ーー チャタテムシはもともと研究の対象としてご自身で選んだ種だったのですか?

僕、一番好きだったのはコガネムシなんです。九大に行ったのはゾウムシを専門としている先生のもとで甲虫の研究しようと思ったからなんですけど、研究室に挨拶に行ったらいきなりチャタテムシの研究をやれと言われて(笑)。しかし、実際に今研究者という立場になってコガネムシのように本当に好きな材料を研究対象として選ぶと、材料愛が勝ってしまって「単なる虫好き」以上を目指せなくなった可能性もあるかもしれません。そういう意味では、少し乾いた目というか、冷静に研究対象として見られる材料を選ぶことができたのは結果的に良かったかもしれない。

ーー ということは、たまたま出会ったチャタテムシでイグノーベル賞を受賞されたということなんですね?

そうですね、はい。

ーー 昆虫を専門にして博士課程に進むことに対して不安はありましたか?

僕らの一つ上の世代で昆虫を研究している人たちは軒並み就職難だったので、ある程度就職に時間がかかるのは分かっていました。けれど狭い世界だから、だいたい自分がどのあたりにいるかも分かっていて、次にあの人とあの人が就職したら、その次は自分のところにお鉢が回ってくるかなとか……。そういう視点で自分のキャリアを見据えていたので、前の見えない不安は、実のところあまり感じていなかったかもしれない。就職できないことはないだろうと思ってはいました。

ーー イリノイ大学での一年弱の研究の感想や、そこから得て今に活きていると感じるものについて教えてください。

ひたすら一年実験しまくっていた気がする……。今でも向こうの研究者とは密なつながりを持って一緒に仕事ができているので、海外に限らず、研究において他人との関係づくりは重要だと思いますね。

海外ならではの文化というと、向こうの研究室ではちょっとした研究成果や論文なんかでもすぐに「これはネイチャーにぜひ出そう」という話になりますね。日本だと「ここは難しそうだからとりあえず一つ下の雑誌に出してみようか」と言われるレベルだとしても、アメリカでは研究に何かしら面白い味付けをして少しでも上を目指そうとしていたなあ、と。

ーー 「面白い味付け」に関連して、論文のタイトル付けや受賞時のコメントはウィットに富んだものでしたよね。

論文を最初に投稿したのが2012年で、その後出版までに2年かかっているのですが、その2年のあいだにタイトルの変遷はありました。形態学と性選択の両方を含んでいて、かつダイレクトな表現にしてみたのは、一番最後の段階だったかな。最初は「雌のペニス、雄のヴァギナ」なんて直球タイトルで出すことに躊躇していたんですけど、レフェリーから高い評価のコメントが返ってきたから、これならもうちょっとインパクトを出しても大丈夫だろうと思ったんです。あのタイトルじゃなかったらイグノーベル賞は獲れなかったでしょうね。

実はあのタイトルが元で、ペニスはオス特有の構造で、メスの構造ををそのような言葉で書くのは間違いだという論争も起こりました。それだけインパクトのあるタイトルだったんだなと思います(笑)。スピーチに関しては、イグ・ノーベル賞は必ず笑い取らないといけないので、まず洞窟探検の格好で行ったらインパクトあるだろうと思いました(笑)。

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やっていることはシンプルだったから、受賞はないだろうと思っていた。

ーー 「発展性のあるテーマになる」と吉澤先生が気づかれたことが、今回イグノーベル賞を受賞された理由のひとつではないか、と感じます。

私はずっと、生き物の形を三次元で理解するよう努めてきました。通常、スライド標本は一方向からしか観察できないし、かなり歪んで見えているのです。さらに、その歪んだスライドを表現する手段も、多くの場合「紙」という二次元体なわけです。ですから、分類学者のなかには、スライド標本を観察した際、それを見えたまま紙に写し取るということが目的となってしまい、本来の三次元構造にまで考えが向いていない人も多いのです。論文の紙面が二次元である以上、書いている人もその範囲で理解しています。しかし僕はまず昆虫の体を立体的に理解し、構造や動きを常に考えるようにします。今回の論文では、他の人がすでに観察したスライド標本をもう一度立体的に考察してみた結果、トリカヘチャタテのトゲトゲの構造が外に向くと分かり、それが性選択の逆転に関連しているというふうに繋がったんです。

ーー トリカヘチャタテはどんな生き物なんですか?

洞窟の中にいるチャタテムシの一種で、詳しい生態はまだ明らかにされきっていません。今回研究したのはのは、彼らの形態と交尾時間についてです。しかし、メスがどうオスにアプローチし、オスはそれをどう受け入れるのかや、どのくらいの頻度で交尾しているのかなど、そうしたことが分からないと、雌ペニスがどのように進化したかという究極的な部分は解明できないので、今詰めている最中です。

ーー これからはトリカヘチャタテの行動の研究がメインテーマになるのでしょうか?

僕自身はこれからも形態から攻めていこうかなと思っています。ブラジルから生きた虫は持ってくることはまず無理なので、現地で研究ができる人を育てたい気持ちはあります。というか、そうしないとこの研究は続けられないだろうと思います。日本人でも、2年間ブラジルでやりたいポスドクがいれば大歓迎です(笑)。

ーー 受賞されたときの心境をお聞かせください

もともとイグノーベル賞が好きでウォッチしていて、賞の方向性として下ネタが受け入れられやすいということは知っていました。まわりの人から「なんかこれイグ・ノーベル賞ネタなんじゃない?」と言われたりもしていたけれど、まさか本当に受賞できるとは思ってもいませんでした。というのもイグ・ノーベル賞って、実験や研究で証明された内容が面白いというよりも、そんな実験をやっちゃう研究者のユニークさが評価されるものだと思っていたので……。僕らがやった研究は、材料はとびっきり面白いんだけど、手法や内容はいたって普通のことでした。

ーー 研究手法としてはシンプルだから受賞はないと思っていたんですね?

そうです(笑)本当にびっくりしました。

最初に思ったのは、「これ、詐欺ではなかろうか」と(笑)。差出人のメールアドレスを検索したり、中継サーバを確認してみたら、どうも詐欺ではなさそうだと分かり、そこで初めて実感しましたね。獲れるなら獲りたいと思っていたので、もちろんものすごく嬉しかったです。でも授賞式で名前呼ばれるまで、「本当に自分たちなのか?」と一抹の不安は残りました(笑)。

ーー 受賞について、子どもの頃の昆虫に対する思いが今につながっていると感じましたか?

昆虫の細かな形へのこだわりは、小さい頃から変わっていないと思います。知識と技術を身につけて捉え方や視点が変わったことはあっても、根っこの部分の昆虫そのものに対する思いや自分の見方はずっと変わらずにある。論文出すときも、形の対応関係などを精確に捉えることや、それをインパクトのある写真として出すことにこだわりも当時から持っていたものがありますね。

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<後編>に続く