2000年頃から「EMANの物理学(http://eman-physics.net/)」で物理学の解説を公開し始めた広江克彦さん。「わかりやすい教科書を自分で作りたい」という当初の思いは、開設から十数年の間にどのように具体的な形になっていったのでしょうか。前編に引き続き、その胸の内に迫ります。

ーー初学者がつまずかないように解説を書くことは「数式や論理を自力で追いかける愉しみを奪うのではないか」という葛藤もあるかと思います。わかりやすい教科書がなかった当時からの広江さんの理想はどのようにして現在のサイトと書籍のかたちを取るようになったのでしょうか。

時代に合わせて書き方のスタンスは変わりましたね。執筆を始めた頃は丁寧な解説を心がけながらも『全部は書かないぞ。理論の本当に面白いところには自分の力で理解にたどり着いてね』と思っていましたが、最近は『若くて優秀な人は、誰も答えを知らない最先端の問題に取り組むことに時間を使ってほしい』と考えるようになりました。既に分かっていることは先人の知恵に頼ってなるべく早くパスできたほうがいいと思うんです。

量子力学のカテゴリ内での用語の整理。歴史的背景を踏まえながら初学者がつまずくポイントを押さえて解説されている。

『なるべく理解しやすい教科書を』という風潮がが世の中で主流になりつつあることもあり、EMANの物理学を読んでいることが恥ずかしいというような感覚も薄れてきました。

また、紙媒体で本を出版したことも評価されるようになった一つの理由かもしれません。webで解説を公開するだけよりも、書籍を出版すると実績が公に認められやすく、信頼度が増したように感じます。一冊目、二冊目のうちは研究者の間でときどき話題に上ることはあったようですが『素人が頑張って調べた本』という評価が多かったように感じました。さらに専門性を高めた三冊目の量子力学の本からは内容の厳密さが上がってきたため専門家からの信頼が増し、知名度や評価が安定したように感じます。なるべく理解されやすい解説を書いていると、『これまでそういう解説は書きたくても書けなかった!』という反響を専門家たちからもらいました。実は「わかりやすく書きたい人たち」が表に出ていなかっただけでけっこういたんだなと思います。

ーー大学の研究者ともやりとりする機会があるのですね。

普段はどうしてもわからないことがあれば、家から少し離れた県立図書館へ行って調べますが、それでもどうしてもわからないときはあきらめてインターネットで人に聞きます。

最近は物理学者が私のツイッターをフォローしてくれるようになって、サイトと書籍を執筆するなかで疑問に思ったことなどをつぶやくと、それにときどきレスポンスをもらうこともあります。そういった双方向のコミュニケーションによってサイトの内容が充実するのは嬉しいことです。ただ、インターネットで他人に教わった内容は『この説明は私が考えたんだ!』と自信満々に書けなくて少々悔しいですが(笑)。

ーーわかりやすい解説は専門家だけでなく、初学者やアカデミアの外の人々にも役立つと思います。日本ではあまり一般的ではありませんが、年齢にとらわれない、人生を通した学習のテーマとして物理をやってみようという人はこれから増えてくるのではないかと予測しています。なので、たとえば定年後に数学や物理の勉強を始めようと思い立った人にも、広江さんのサイトや書籍はとても大きな助けになるのではないでしょうか。

生涯学習という意味では、『未来の自分のために書いている』という意識もありますね。今でもずっと前に書いた自分の解説を見返すと『こんなことが理解できていたのか!昔の自分すごいな!』となることもときどきあって、サイトにはそんな備忘録としての側面もあるんです。

それから、物理学の裾野を広げていきたいという思いもあります。この分野そのものにもっと人々の関心が向けば、研究者の社会的地位が向上するだろうし、国からより多くの資金が提供されるようになることもあるかもしれません。それらが結果として物理学のさらなる発展につながっていくんじゃないかと考えています。だから、裾野を広げて初学者を招くというのは、研究の発展という観点から考えると重要なことだと思います。

 


webサイトの内容にさらに加筆してまとめた書籍『趣味で物理学』シリーズは現在4冊出版されており、『趣味で量子力学』以降の書籍は専門家からの評価も高い。量子力学の本はサイトで解説している範囲を網羅するため、第3巻を執筆中だという。

ーー現在も進行中の書籍や記事があるのでしょうか?

第二巻まで出した『趣味で量子力学』シリーズの第三巻を含め、いくつか書籍を書き進めています。webサイトも随時加筆と修正を続けていて、現在力を入れているのは量子力学と物理数学のカテゴリですね。目標は素粒子論の解説までたどり着くことです。

偶然に頼ってここまできましたが、”物理が好きだ”という気持ちを変わらず持ち続けてなんとかやってこられました。物理学を志す若い人たちも”なんとかなる”と思ってやっていってほしいですね。わたし自身いまだに勉強すべきことがあり、まだまだ知りたいことがたくさんあります。

EMANの物理学 http://eman-physics.net/