第1回はこちら
 

          


立っていたのは、小柄な、おじいちゃんとおじさんのあいだくらいのひとだった。

少し猫背気味の立ち姿に、やさしそうな目。キリンみたい。でも、首は縮こまっている。首の短いキリンって感じ。

 

「あ、えー、ここであっているかな。ここは教養総合演習Ⅰのクラスですか?」

「はい、そうです。山崎先生」

 

ユイコが歯切れのよい声で言う。先生の名前まで把握しているのかこの子。やっぱり意識高い系だ。分かんないけど、たぶんそうだ。絶対わたしと相性悪い。どうしよう。

 

「そうですか、よかったよかった。えー、僕は山崎といいます。今年は2人も履修者がいてくれて嬉しいですね。去年はね、1人だったんですよ。倍です、倍」

 

山崎先生はニコニコしながら本当に嬉しそうに言う。そんなに人気がなかったのか、この授業。まずいな。意識高い系女子と不人気な授業。

―これは、まずいな。もしかして早速の「切る」ってやつ?

 

「お二人とも、クラスとお名前を教えてください」

 

「1年C組、佐野由衣子です」

「1年F組の竹見エリです」

 

「佐野さんに、竹見さんね。ありがとうございます。えーと、です、ね。僕はこの授業のサブタイトルに『科学とあなたの、未来を考える』とつけています。何をするかと言いますと、まあ本当にこのサブタイトル通りなんですけど、科学とあなたがた、それぞれの未来との関わり方について考えましょう、ということです。ええ。一応この授業は理工学部の設置になっていましたが、お二人は理工学部ですか?」

 

「はい」

「いいえ、あたし、商学部です」

 

えっ?ユイコ、理工じゃなかったのね。商学部か。商学部って大学生活を思いっきり遊んで謳歌してそうな人ばっかりって思ってたんだけどな。

 

「おお、じゃあちょうどいい。この授業を全学部参加可能型にしているのは、まさに今のあなたがたみたいに、理系や文系といった垣根を超えて”科学”というものと人間との関わり方について考えてほしいからです。太古から、わたしたちの生活が常により良いものへと導かれてきた裏には科学の力が必ずと言っていいほど登場します。もちろん、科学が全てというわけではありませんし、ときには道徳的に許されないような使われ方をされてしまったのも事実です」

 

道徳的に許されない、ってどういうこと?

ていうか、普段の生活でそんなこと考えたりする?

 

「朝起きて夜寝るまで、わたしたちは何千、何万という科学の力に触れています。しかしそれを意識して感じる瞬間というのは、実はとても少ないのではないでしょうか。そこでまずはお二人とも、生活のなかにある科学について、思いつくだけ挙げてみてください。なんでもいいですよ」

 

「そうですね……たとえば、ガスコンロの火がつくとか?」

「んー、太陽光発電?」

「洋服の繊維!」

「電池、とか」

 

「いいですね。それから、電気や機械などを使わないところにも科学は登場します。

たとえば石鹸。石鹸は紀元前3000年頃に初めて発見されました。しかし、何かの実験などをして見つかったのではなく、偶然から生まれたのです。その頃、古代ローマでは羊の肉を焼いて神殿に備える習わしがありました。その焼いた肉から滴り落ちた油が灰に混ざり、その灰が堆積した土には汚れを落とす不思議な力があるとローマ人が気づいたのが石鹸の始まりです。

このように、偶然の発見が人類に大きな影響を与えた出来事は、科学史上非常に多いのです」

 

……確かに意識していなかったけど、生活ってもはや科学なしでは成り立たないってのは、まあそうだよね。でも、そもそも科学って、どこからどこまでを指すんだろう。たとえばここにある机はこれだけじゃ科学じゃないけど、作る過程で化学的な反応とか機械なんかを使っているわけだから、そこには科学が関わっているわけだし……って考え始めたらよく分かんなくなってきたぞ。

 

 

「なんか、哲学みたいですね」

 

「ほう、どういうことですか?」

 

「たとえば目の前のあるものとか、これ自体は科学の力がはたらいているってわけじゃないかもしれないけど、ここに運ばれてくるまでにいろいろな形で科学の力が関わったんだろうなって思うと、科学って広すぎてよく分からないなって思って」

 

「いい視点ですね、とてもいい。

いったい何を科学とするのか、これは難しい問いです。しかしあまりに範囲を広げても仕方ないので、そうですね……では今週の宿題は、あなたたちそれぞれにとっての”科学”の範囲を決めてくること、そしてその範囲に沿ってインタビューの計画を立ててきてください」

 

「「インタビューってどういうことですか?」」

ユイコとわたしの声が揃った。

 

「ああ、そうか。シラバスには書いていませんでしたね。

この授業は、僕が何かを教えるのではなく、お二人が外に出て得てきた経験を材料に進めていこうと思っています。科学というトピックは本当に多岐にわたる。そして僕もあなたたちも、今後死ぬまでたくさんの科学と関わることになります。しかし、毎日ものすごく多くの科学に関わっているにもかかわらず、僕たちが見ていない、見えていないものはあまりに多過ぎる。だから、まずはお二人に”科学とは何か”ということをこの1年間で徹底的に考えて、意識していないものを”見る”ということを習慣にしてほしいのです。この講義は通年ですので、今お二人がそれぞれ興味を持っていることと、年度の終わりに何に興味を持つようになったか、その移り変わりを振り返ってみるのも面白いですね」

 

山崎先生はホワイトボードに長い線を引き、その端っこに「今」と「来年3月」と書いた。

たった1年で何が好きかなんて、変わるんだろうか。そもそもわたし、好きなものが分からなくて困ってるんだけどなあ。

 

見えているけど、見ていないもの、か。


 

「その一環として、今期は科学に携わる様々な人に会いに行って話を聞いてきてもらいます。もちろん実際に何かを体験してくるのも良いでしょう。ノーベル賞を獲るような著名な研究者に会いに行けと行っているのではありません。学科の先輩や大学院生、教授など、会いに行きやすい人から始めてみてください」

 

「それって、どんな人に会いに行くかは自分で決めていいってことですか?」

と、ユイコが興奮気味に訊く。

 

「そうです。どんな人を選ぶか、どんな話を聴きにいくか、すべてお任せします。必要であれば僕のツテを紹介することも可能ですので、こんな人の話が聴きたいとか、こんな分野の話が聴きたいなどがあれば、遠慮なく相談してくださいね」


第3回へ続く